40歳過ぎて気になるのは「健康」
ウォーキングを始めて2日目。救急車搬送されました。
2020年、引っ越したばかりの見知らぬ地
娘の進学と、嫁の正社員雇用。
それに伴い引っ越しをして半月が経過しました。
これから私立だからお金が掛かることばかり。
今まで以上に健康に気を配り、仕事を頑張らねば。
まだ自分の住む場所の周辺は知らないところばかり。
歩いて周辺を散策するのも良いと思い、ウォーキングを始めました。
少し遠いけど夜間にランニングもできる公園も見つけました。
昨年、足首を骨折し約1年ちょい。
そろそろ完全に完治し、ランニングも始めようかな?なんてワクワクしていました。
2日目の健康
意味もなく松の写真を載せてみる
んで次の日。
肌寒い日でしたが、夜8時半過ぎにウォーキングを開始。
「今日は坂がキツイ住宅地を頑張って歩こうかな?」
なんて気分を高揚させて、いつもの懐中電灯を首に下げてテンポよく散策。
2kmちょい歩いて「結構寒いし今日は早めに帰ろうかな?」と思い、家路に向けて歩き始めました。
下り坂の曲がり角で、歩行器を引いたご老人とすれ違う。
避けて側溝のブロックの上を歩いたその瞬間、目の前の景色が無くなりました。
懐中電灯を照らしていたものの、曲がり角の下り坂で前方の側溝の段差に気づかず足を捻ってしまいました。
2kmの道程
意味もなく富士山の写真を載せてみる
ご老人に助けを求めるのに気が引けて、家路に向けて足を引きずりながら歩く。
遠い。
住宅地なので家はたくさんあるものの、助けを求めるために呼び鈴を鳴らす行為に躊躇いを感じ、ひたすら歩く。
激痛が増す。
昨年、骨折した箇所と同じ足首。
捻った際に「ゴキン」という小さな音がした。
これから頑張って働こう、健康に気を遣おう。
そんな折で始めたウォーキング2日目。
「私は何をしているんだろう」忸怩たる思いでいっぱいになる。
2階のチャイム
意味もなく嫁の手作りケーキを載せてみる
なんとかアパートに到着した。
部屋は2階なのだが、階段が上がれない。
必死に1段1段上がる。
ふくらはぎやアキレス腱が悲鳴を上げる。
部屋の前にきた時には鍵を開ける気力がなく、チャイムを押して崩れ落ちました。
「おかえり。どうしたの??」と家族が集まる。
「またやっちゃった・・・病院に連れてって・・・」
2人の救急隊
これはイメージ画像。乗り心地悪い
全く動けないので救急車が呼ばれた。
5分程度した頃に、アパート周囲に赤色の点滅と共にサイレン音が鳴り響く。
引っ越して早々に迷惑な住人だと思われただろう。
3人の救急隊員が駆けつけ、折り畳み椅子のような搬送器具を使って両脇2人掛かりで階下に搬送。
その後、ストレッチャーに移乗され救急車に運ばれた。
人生初の救急車搬送である。
車内ではコロナ対策で体温を測ったり、渡航歴など聞かれ、その後は血圧計とサチュレーションを指に嵌めて搬送。
途中、道の路面が悪いのか酷く車内が揺れて、足が悲鳴を上げる。
寒い日だったので体温が異常なほど低く、測れない。
2人の医師
「ああ、酷く腫れてるね。多分折れてるね」
2人の医師から、ツイてるね ノッてるね みたいなフレーズが聞こえる。
その後、CTとレントゲンを撮影。
嫁さんも駆けつけてしばらくベッド上で待機。
トイレに行きたい・・・。
1時間ほど過ぎた頃に診察が始まった。
「前回の骨折線があるから分かりにくいけど、多分折れてない。捻挫だね。そのまま帰る?」
と聞かれ、流石に無理なのでシーネ固定してもらい松葉杖で帰宅。
2日目の再検査
次の日、家族から「おっちょこちょい」という烙印を押され、肩身が狭い。
とりあえず骨折がないので、次の日は仕事に出社。
その夜、あまりの激痛で寝られない。
次の日、改めて他院でMRIを撮影してもらい再診の結果「靭帯断裂」と診断され、広範囲に出血があるためギプス固定となる。
「ここまでの酷い状態で、今回骨折していないのが不思議」
と言われました。
その際に発覚したのだが、前回の腓骨骨折の跡が結局くっついてないことが判明。
「偽関節」になっていた。手術までしたのに。
トホホ。(←これ言ってみたかった)
2万弱が消える
意味もなくミラコスタの写真を載せてみる
結局、この怪我のせいで2万弱の出費となった。
今後も診察やギプスカットなどで出費が嵩むことだろう。
2度目の骨折は免れたものの、2年の間に2回目のギプスである。
40歳過ぎてからの厄が収束しない。
落ち着いたら改めて厄払いに行かねば。