帰りの車内のラジオで、昔の自分のアダ名について語るコーナーがあった。
私にもアダ名があった。もう30年前の話だ。
高校生活とフランダースの犬
30年前
高校入学し1ヶ月、そろそろ慣れてきた頃である。
放課後の教室でクラスのリーダー格の一人が私に言う。
「◯◯ってさぁ、誰かに似てるって思ってたけど『フランダースの犬』の主人公に似てるよね」
それに釣られて仲間2人も「本当だ」と同調する。
「今日からお前、フランダースの犬の主人公『セバスチャン』な」
とリーダー格の彼は言い、その日から私のアダ名はセバスチャンになった。
理由あってモヤモヤする。
誰か否定してほしい
瞬く間にそのアダ名が広まった。
私だけのアダ名が広まった訳ではなく、ほぼ全員にアダ名が設けられた。
酷いアダ名も少なからずあった。
当初セバスチャンだったアダ名も言いにくかったようで、そのうち
「セバス」
「セバ公」
「バッセー」
など三段活用の如く形を変えていった。
たまに「セバスチャン」と呼ぶ人もいたが、イントネーション的に「セバス」に気を遣って「ちゃん付け」しただけのようだった。
私はセバスちゃん ではない。
そろそろ言いたい
まぁ放っておけば飽きるだろうと思っていたのだが、結局3年間そのアダ名になってしまった。
あれから30年。
内気だったあの頃の私。
ずっとモヤモヤしていたけど、そろそろ言いたい。
フランダースの犬の主人公は『ネロ』だ。